自分の内なる音を聴く

江村哲二作品集《地平線のクオリア》



ちくまプリマー新書」が気に入っている。中高生ターゲットのはずだが、頭の固くなったオヤジが読むとさらにおもしろい。こんなラインナップだ。「岩波ジュニア新書」よりもちょっと軽めだが、良書がそろっている。移動中読書にぴったり。数冊、続けざまに読んだ。

『はじめの哲学』三好由紀彦 (著)
『われわれはどこへ行くのか? 』松井孝典 (著)
『<いい子>じゃなきゃいけないの? 』香山リカ (著)
『おはようからおやすみまでの科学』佐倉統・古田ゆかり (著)
『「世界征服」は可能か?』岡田斗司夫 (著)
『音楽を「考える」』茂木健一郎江村哲二 (著)

テーマ自体は古典的なものが多いが、ちょっと斜め方向から見た人選に、編集者の力の入り度合いが見えてうれしい。
それぞれ、平易な語り口の「超」入門書のはずにもかかわらず、今更ながら「そうか!」と思わせてくれる箇所も多かった。

どれもお勧めだが、その中でも、『音楽を「考える」』が圧巻だった。クラシック音楽好きの脳科学者:茂木健一郎と工学部出身で理科系マインド全開の作曲家:江村哲二という組み合わせがおもしろい。
ハーモニーの語源やピタゴラス音階フィボナッチ数列などを引っぱり出さなくても、そもそも音楽と数学との関係は深い。

作曲家江村哲二のテーマは「自分の内なる音を聴く」だ。
音楽は、空気の振動として耳の鼓膜を震わせることによって実体化する。「作曲家」という人種は、それを頭の中で構築することができる稀有な才能も持った人種なのだろう。そして作曲家は、自らの内なる音楽を「楽譜」に書き移すことによって表現をする。
演奏家は、楽譜という紙に書かれたものをもとに、自分の内なる音に導かれて、具体的な空気の振動として表現しようとする。この段階では、まだ誰も、実際にはどんな音が鳴るのかがわかっていない。そして「演奏」され、やっと聴衆の鼓膜を震わせることによって音楽は完成する。

しかし、「聴衆」はみな同じ音を「聴いて」いるのだろうか?視覚刺激に較べて、聴覚刺激はより抽象的だといわれている。はたして、我々は、ひとり一人、本当に同じ音を聴いているのだろうか…?演奏される曲を通して「自分の内なる音」を聴いているのではないだろうか?

20世紀の作曲家ジョン・ケージに『4分33秒』という有名な曲がある。4分33秒間演奏者が「何もしない」沈黙の音楽だ。ケージはこの4分33秒間に、「自分の内なる音を聴く」という課題を聴衆に突きつけた。お前たちも創造行為に参加しろ!最後に音楽を完成させるのは聴いているお前たちだ!と言わんばかりに。



・・・・・と、まあ、こんな小難しい話もあるが、だいじょうぶだよ、全編に、音楽を聴く楽しみと知的刺激あふれるすばらしい一冊だ。音楽、特にクラシック音楽を聴いてきた人には「聴いていてよかった」と、まだ不幸にして聴くチャンスがなかった人には「聴いてみたい」と思わせる名著だと思う。一読をお勧めする。

その江村哲二は、2007年6月11日、膵臓がんのため47歳の若さで逝去している。惜しい才能を我々は失った。

『地平線のクオリア』を聴きながら
2007年9月最後の、雨の夜に