荒川の向こうにある『名古屋』

高砂 「名古屋」の田舎蕎麦



行ってみたい蕎麦屋があった。蕎麦ブログで紹介されたときから感じるものがあった。でも遠い。なんたって、行き先は『名古屋』なのだ。たどり着くまでに40キロは走ることになるだろうか…。で、蕎麦を食べてから帰ってこなくてはならない。一人でまた40キロを、だ。目的を達成して"食べて"しまってから!だ!
でも、ま、いいか、帰りは心配しないで、だいじょうぶだよ、行ってみるか、と、走り始める。

例によって蕎麦ポタは「ウルトラマン」から始まる。今日は九月の五連休の真ん中、"彼ら"は千円を満喫しつつ排気ガスをばら撒いているはずだ。せっかくいなくなってくれたのだから多少は空気のきれいな東京を楽しもうと、普段は通らない幹線道路を積極的に使ってみる。


ロード to 名古屋

『名古屋』といっても場所は京成高砂駅だ。"といっても"というかわたしの住家からはとても遠く、新幹線もない。でも、「つれづれ蕎麦」のこのエントリーを見てからずっと行ってみたかった。感じるものがあったのだ。メニューを見るとごく普通の町場の蕎麦屋じゃないか!でも眼がハートになっているぞ。これこそ、最近探しているタイプの店の匂いがするのだ。


行ってみて納得。カツ重親子重あたりまえ。ハンバーグ重だってさ。焼肉もある。「各種定食できます 300円増し」の一行が光っているぞ。なのに、だ、蕎麦もとてもとても、もう、うまいのだ。こんなところで(失礼!)こんな挽きぐるみの粗挽きが食べられるなんて…。量も遠慮ない。感激。天麩羅もいい。蕎麦湯もすばらしい。接客も心地よい。コスパ最高。この街に引越したくなってしまうじゃないか。どうしてくれるんだ。きっと通っちゃうね。

以前も書いたけれど、いわゆる"ニューウェーブ"と呼ばれる手打蕎麦屋には飽きてしまっているのだ。ニューウェーブのはずがいつのまにか旧態依然。
ものめずらしさはとっくに過ぎ、もはや薹(とう)が立ってしまった…というとファンから怒られるかもしれないので改める。十年一日のごとく…これも悪い喩えだ。だって十年もたってないし。数年でそれじゃあなお悪い。

それに、毎月のように雨後の筍のように乱立している、「ふつうにうまい蕎麦」を出す程度の店もいいかげんにうんざりなのだ。一応気になるので行ってしまうじゃないか。頼むから裏を返させてもらいたい。それに、「どう、凝ってるでしょう」風の画一的なインテリアも飽きられているのがわからないのだろうか?

ま、そんなこんな門外漢が無責任に言いたい放題なのだが、ようするにがんばって欲しいのだ。天麩羅は蕎麦屋として必須じゃないかとか、せめて鴨南くらいやれとか、丼物も出せとか、言わない。その分、研鑽して「せいろを食べなくて何でこの店に来たの」とか、「せいろ以外に食べ方が考えられない」というくらいの蕎麦を出して欲しいのだ。

あれ?何で今日はこんな話になってしまったのか…違うことを書くつもりだったのだが…。ま、いいや。"違うこと"はまた今度。

で、で、今日のGPSログは連続していない。なぜならば、今回のポタの本番は明日。今日は明日のために自転車を浜松町の駐輪場に置いてきたのだ。そう、明日は念願の「隅田川全26橋走破!ツアー」の日なのだ。

だから明日
あなたが起きた頃わたしは勝どき橋を渡り始めているだろう。昼時に電話してもでないよ。だってその頃わたしは千住大橋を越えて北千住にいるからだ。
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