『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬社)
すごい本だ。すごい人たちが居たもんだ。"せきしろ"と"又吉直樹"。二人とも知らなかった。その本が『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬社)だ。
このブログを読んでくれている人なら想像つくだろう。内容も著者も知らずにこの本に出会えたのは、すべて牡蠣の神様のおかげだ。題名の「カキフライ〜」で手にとってしまったわけだ。
あの店ならばまだカキフライがあるはずだとわざわざ行ってみる。「すみません、今年は仕入が悪くてもう終わっちゃったんです」。でも、まあ、せっかく入店してお茶もグビッとしてしまったことだし、しかたなしに盛り合わせフライを注文する・・・・・。こんな非道な仕打ちと辱めを何度受けたことか。
本書は、全287ページに、自由律俳句四百六十九句と散文二十七篇と著者二人の撮影による写真で構成されている。
「全287ページ」と「自由律俳句四百六十九句」というところで本読みはわかるね。よくある自己啓発本のようにページに空白が多くスカスカなのだ。最も文字数が少ないページには「ポン酢を吸う右袖」と八文字だけ書かれている。
だからほんの数時間で読み通してしまう。ただし、不思議な吸引力を持ち何度でも読みたくなってしまうのだ。
たいていこの手のスカスカ本は"いいこと"や"人を力づけるありがたい一言"が書かれた半宗教本が多い。ところが本書『カキフライが無いなら来なかった』はまったく逆なのだ。短冊のようにポツリとつぶやかれた一言のなんと裸なことか、なんと虚無的なことか。全編、現在の立ち位置のあやふやさと未来への不安感で埋め尽くされている。
文章が少なくてページがスカスカなのに"埋め尽くされている"というのは変だが、そこは"空白"が補うことによって、喪失感を充満させているのだ。そこが絵本やイラスト本やお手軽啓発本と根本的に違うところなのだ。
だいじょうぶだよ。不安感を煽るだけのダークサイドの本ではない。ページをめくるために思わず「そうだよね」と独り言ちながらクスクス笑いがこみ上げてくる。まだ自分を笑えるだけの、ほんのちょっとの余裕がある彼らへの共感ゆえか。
この摩訶不思議なテイストは他と較べるのが難しい。
一部を書き出してみよう。
- 便所目当ての百貨店だが買いもの顔を作る
- 人見知りを貫いた成果を見せる機会がない
- ほめられたことをもう一度できない
- またカット世界チャンピオンの店だ
- 間違えたビニール傘に知らない人の温もり
- 大人になったらと未だ思う
- ほつれた糸を切ろうと引いたら伸びた
- ひげ剃りにも負けた
- 居酒屋のトイレで一旦酔っていないふりをする
- ホットではなくアイスが来たが受け入れた
- 子供にわざと負けたのがばれている
- 醤油差しを倒すまでは幸せだった
- 似顔絵を見ると嫌われていたことが解る
- 降り損ねたことを悟られぬよう車窓見る
- 握った手が冷たくてキミはすまなそうな顔をした
- 石油ストーブの匂いAMラジオ一時間後のバス
- 別に咲かなくても良かった花とか
- 無頓着自由人風のナルシスト
- 自分ひとりだけ手ぶらだ
- 沈黙の次は誰の番か
- 現地集合現地解散なら行く
- 縄跳びが耳にあたったことを隠した
- 結婚式の写真を見なければいけない流れ
- 自分のだけ倒れている駐輪場
- 二回目でも初めて聞くふり
- 太字で伝える程のことか
- 独り言にならないようにと居てくれた人
と、まあ、日常のあえて口にはしない感情がふわりと言葉になっているのだ。それにしてもなんと淡々とした寂寥感あふれる言葉たちなのだろう。ふと誰でも思うことを言葉にすると何と鬱屈して感じられるのだろう。
書き忘れていた。散文もまた秀逸なのだ。ぜひ読んでほしい。
そして、後書き代りの
「まだまだくすぶれる」(せきしろ)
「まだ何かに選ばれることを期待している」(又吉直樹)
が心にしみる。