湯気と涙で眼鏡もくもる

箱根そば 小柱かき揚げ天そば



手打ち蕎麦が好きだということは何回も書いている。酒飲みだということも何回も書いた。一杯やるならば蕎麦屋だということもしつこく書いてきた。

蕎麦屋のツマミの中の筆頭がかき揚げ天婦羅だとも、海老イカ子柱が三位一体となってはじめてかき揚げの至福の千年王国が訪れるのであるとか、そのうち最も神聖で尊いのは小柱であるともだね。
それに、立ち食い蕎麦全般、特に「箱根そば」を憎からず思っていることも知ってるよね。

で、大事件があったのだ。久しぶりにやられてしまったのだ。

ヤボ用でちょっと遠方まで。天気がいいのに自転車を置いて電車で行くはめになっちまった。せめて昼飯代わりに蕎麦でもたぐって行こうかと、暖簾をかき分けるはずの手を胸元に下ろし、自動ドアのボタンを押す。さすが昼時だね、けっこう入ってやがるぜ。いらっしゃいませの声を聞きつつ、小銭をじゃらじゃらさせながら花番マシンの前に立ったと思いねえ。

ま、立ち蕎麦とくりゃあ、あったりまえだのうしろだの言わずとしれたデフォ=かき揚げ天ぷら蕎麦だ、と。ト、とッ、季節のメニュー『小柱かき揚げ蕎麦』なんてメニューが増えてるじゃないかおまいさん。

んなわけで初志を曲げて「小柱かき揚げ蕎麦」を食してしまったのだ。こんなことは久しぶり。数少ない例外「ゲソかき揚げ蕎麦」以来のことなのだ。

箱根そばで小柱かき揚げが食べられるなんて思ってもみなかった。あの神聖な小柱が白昼堂々立ち食い蕎麦屋にあるのだ。値段は430円也。持ってけ泥棒!の60円の差額で小柱入りのかき揚げが食べられるなんて。しかもこの店「成城店」のかき揚げは他の箱根そば店と較べて圧倒的にクオリティが高いのだ。

立ち蕎麦で"クオリティ"かよ…という内心忸怩はさておいて、170円なりの小柱入りのかき揚げ天婦羅に真摯に向い合ってみる。
これが、ふんふんッ、小柱もひいふうみいようたくさんと入っていて、なかなか、いけるんですよ、ご新造さん。

本来ならば、どうせ私は日陰者よとばかりにいじけて入っているワカメ嬢も、今日は堂々とした押し出しで自己を主張している。軽くさらしたネギ君も相変わらず健在だ。
もちろん汁は醤油で黒々とした正しい関東風だ。

昔、Y君から聞いた話だ。上京してすぐ大学のコンパがあったが、緊張してあまり食べられなかった。軽く食べてからアパートに帰ろうと、ポケットを探ると数百円残っていた。電車賃を除くと200円程度。まだ肌寒い季節だ。かけでも食べようと目の前の立ち蕎麦屋に入った。出てきたうどんの汁が真っ黒だった。
いまさら他を注文をするには資金不足だ。「泣きながら食べましたよ」とY君。

だいじょうぶだよS山君。真っ黒でも塩気がきついわけじゃないから食べてみなはれ。そば汁が黒くらいで死ぬわけじゃない。せいぜい湯気と涙で眼鏡が曇る程度だ。立ち食い蕎麦屋でランチというクエストをクリアできないと、東京で500円で満腹になるのは厳しいのだぞ!

ま、そんなことはどうでもいいが、箱根そばの『小柱かき揚げ天そば』、お奨めなのだ。



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