自転車乗りとしてとりあえずの必需品

TRANQUILO号、黒森庵にぶら下がる



で、そのフォールディングバイクが来た。衝動買いした折りたたみ自転車のことだ。とりあえずの必須アイテムを用意して待っていた。
"とりあえずの"とは、サイクルコンピュータと前後のライトと予備のタイヤチューブのことだ。
うれしいことに、ペダルと展示スタンドは付けてくれるとのことだった。

前につける"ライト"。これは法規上も必須。後ろにつけるテールライト。赤いLEDが点滅するやつだ。夜間、自動車に追突されないようにだ。自動車に追突される?なんて疑問に持ってはいけない。自転車は歩道ではなく車道を走るものなのだよ。だから、これは自分の身を守る手段として必須だ。しつこいくらい点滅するやつが望ましい。

自転車乗りとして、特に夜間は、いつも後ろを走る自動車に気をつけていなければならないのだ。あいつらには常識が通じないからだ。

自動車の運転免許を取るのがこんなに簡単なんて不思議だ。自動車を運転するって、とても難しいことをしているのだと思う。運転自体だけでも、四肢を別々に動かして同時に幾つものことができなければならない。しかも、周囲四方に気を配りながらだ。

あれって、とても大変な行為なんだと思うのだ。
この際だからかってに決めつけてみると、きちんとこなせる人は一割をはるかに下回っているのではないだろうか。それなのに成人の八割以上は運転免許書を持っているはずだ。
そのうちの半分がペーパーだとしても四割強が、つまり、全成人の三割以上、全運転免許書取得者の六割以上、ペーパーを除く運転手の八割程度の不適格者が車を転がしていることになる。蕎麦粉二割小麦粉八割のニ八蕎麦のようなもので、とてもいただけない。

そういえば、昔、「自動車は走る凶器」だと言われたよね。ようするに「△チガイ▽◎物」なのだ。
銃火器は所持できないのに、自動車は簡単に所有できかつ使用できてしまうのだ。全成人の八割が、だ。銃火器の所持が自動車なみに簡単になっている、悪夢のような社会のことは、映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』に描かれているのでここでは触れない。大◎と☆草はどちらがら身体に害があってどちらが習慣性があるか、ということにも触れないでおく。

で、そんな難しいはずの、運転免許書がなぜかくも簡単に手に入ってしまうのか…、もちろん車屋の陰謀だ。あるときは圧力団体と化して、あるときはロビイングをし、あるときは政治家や官僚の顔を札束でひっぱたき、だ。その結果、欠陥運ちゃんが横行しているのだ。米で銃火器を買うのが簡単なのと、世界中で煙草が麻薬扱いされないのと同じ理屈だ。

また例によって話がそれてしまった。
だから、夜間走行の自転車には、うるさいくらい目立つテールライトをつけなければいけないのだ。そのとき、自分の回りにいるドライバーの八割に、多少なりとも気付いてもらうために。

"予備のタイヤチューブ"。一人で走っているときは、まあいいやと思う。パンクしたら困るのは自分だけだ。でも皆で一緒に走るときは必ず持って行く。パンクしたときに同行者に迷惑をかけないためにだ。つい買うのを忘れがちなので、気付いたときに買っておく。

"サイクルコンピュータ"。通称"サイコン"。これがないと、ポタリングの楽しみは激減する。だいじょうぶだよ。今日は何キロ走ったとか最大何キロ出たとかを、記録したり自慢するためにではない。そもそも"がんばる"ために自転車に乗っているわけではないのだ。自分の現状を知るために必要なのだ。快く楽しく走っていると時間を忘れる。つい走り過ぎてしまうこともあるので、ときどき走行距離を確認したくなる。

時刻がわかるのもうれしい。

「せっかく楽しくポタリングしてるのだから時間を気にするなんて本末転倒だろう」って…
でも、時間がわからないと、蕎麦屋が中休みに入ったりして閉まってしまうだろう…。

サイコンのおかげというわけではないが、初乗りで『黒森庵』に滑り込んだ。蕎麦はいつものようにとてもおいしかった。
ロードバイクに混ざってバイクスタンドに落ち着いたDAHON君「TRANQUILO号」も、短い足をブラブラさせながらうれしそうだ。
これからいろんな場所に連れてってあげよう。



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