桜満開桜満腹ポタリング

出会いは看板とマンホールにある



週末二日間、「桜ポタリング」を楽しんだ。開花宣言から間をおかず、あっという間に満開になってしまったせいか、今年の桜は物足りない。熟成度というか豊潤さに欠ける。でも、毎年この季節が楽しみなのだ。特に花が好きなわけではない。まして桜が好きなわけではない。でも桜ポタを楽しみにしている…には、
熊さんや、実は、こういうわけがあるんだよ。

ポタリングにルールを持っているという話は以前した。せめてポタリング中くらい自由でありたいのに、なぜかコースがパターン化してしまうということも書いた。
そうなんだよ。わたしの頭が固いからなのか、そもそも人間の思考パターンなんてそんなものなのか知らないが、同じことを何度もやってしまうのだ。言い換える。「同じあやまちを何度も繰り返してしまう」のだよ。性懲りもなく。

そのあたり、心理学的側面から考えないものではないが、ここはそんな場ではないのでやめておく。

自転車、しかもダートも走れるマウンテンバイクという、極めて自由度の高い道具に乗っている。できるだけ知らない道を走りたいと思っている。にもかかわらず、結果として同じ道に迷い込んでしまう、というか、吹き溜まってしまう。人間(というかおまえ)・イズ・フリーダム、ではないのだ。
このマンネリ化を防ぐには、何らかの外部刺激が必要なのだ。
それが、この季節は、桜の木だ。

余計なことを考えない。ひたすら「桜のにおいと姿」を追いかけて走ることによって、定型化したパターンを打ち破る。今まで眼についたことがない路地(ほんとうに見えなかったのだ)へ入って行く。普段は、なぜか、不思議な引力により曲がれなかった角を曲がる。おお、こんな道があるんだ!ここへつながるのかあ…、と。

いつもならば、自分自身の思考パターンにはまって同じ行動をしてしまうのだが、眼に見えやすい「桜の花」という刺激を追いかけることによってポタリングのバリエーションを増やす最大のチャンスなのだ。

土曜日は、井の頭公園〜武蔵境〜深大寺で知らない道をたくさん走った。日曜日は山手線側に向かい、いつもならば通らないようなエリアを走った。ちょっと怖気づいてしまうような坂も、頂点に見える桜に誘われて登った。ちょっと変わったマンホールも、変な看板もいくつも見た。

(…でも、やっぱり、同じ道に出ちゃうんだよね…。)

この楽しみは年に数日しか与えられていない。桜満開の前後の週末にしか。幸い、今年はもう一回、四日後にもチャンスがあるが、すでに盛りを過ぎている桜も多いだろう。でも、だいじょうぶだよ。満開だけが桜の楽しみではない。桜散る中を風と共に走り抜ける楽しみもある。道に敷きつめられた桜を踏みながら走るのも楽しい。

もちろん、その他にも、季節のお楽しみがある。「桜切り」蕎麦だ。
土曜日はおなじみの宇奈根『山中』で。日曜日は代々木上原『ごとう』、3月半ばに開店したばかりの新店だ。初訪の店では正攻法で「もり」、せいぜい「十割」を食べるのが最低の仁義なのに、つい「桜切り」を頼んでしまった。陽気のなせる業恐るべし。
どちらの店の桜切りもおいしかった。でも、これで今春三回食べた。もうお腹いっぱいだ。

毎年思う。東京ってこんなに桜だらけなのだ。いつもの通りなれた道でもそうだ。あッ、君も桜だったのね。今まで気が付かなかった。ごめん。と思い続けるほどに。