『中清』でひと月違いの姫を味わう

菊姫、12月と1月の飲み較べ



ひさしぶりの、なんと今年はじめての吉祥寺『中清』だった。

弱い言葉のひとつ「三種盛り」という新メニューができたそうな。忘れられてしまうといけないので行ってこよう。と。散歩日和杉花粉満載弥生日曜日吉日正午前。ぼちぼちと吉祥寺へ。

今日の口開け。さっそくご主人がうれしそうに一升瓶を二本持って登場。待ってましたア。

「ねえ、ねえ、これ知ってる」
菊姫山廃純米生原酒無濾過だ。ええ、で、何で…?
「こっちが12月の蔵出し、こっちのが1月の蔵出し。味が違うんだよ」
えッ?タンク違いとかじゃなくて…?
菊姫くらいの規模だとタンク違いは出さないと思うんだ。
 でも違うんだよ。半合ずつ飲み較べてみる」
ウマウマじゃなくて、ノマノマでもなくて…飲む飲む。絶対飲む。



  ウッーウッーウマウマ(゜∀゜)


あ、本当だ!
12月の姫は熟れきった芳醇な味わいだ。ただ、一年前のあの姫と較べると、フルーティさというか酸味に欠ける。(あの「姫」のことはもう忘れろ。未練だぞ!)
1月デビューの姫はまだ若い感じがするが、これから時間がたつとどうなるのだろうか、という期待値が高い。
不思議だ。出荷時期が一ヵ月違うだけで、こんなに違うんだ。

で、わたし?
好みのタイプは「年下」以外にないわたし。どうやら「熟」が好きらしい。(またひとつ弱い言葉が増えてしまったわけね)
だから、この一ヵ月違いの「姫」姉妹を較べると、30対27で熟しきった12月の判定勝ちだ。いいじゃない、もう、これだけ熟したんだから、十分だよ。これはコレで。この場はこれで。やがて1月の姫が熟したら、その時にあらためて愛でてやろうじゃないか…。
と、どこまでも、刹那的な男なのだ。

醸造酒って本当に不思議だ。
私が酒を飲みはじめた頃は、東京で普通に手に入るのは十数銘柄程度だったはずだ。ひとつの銘柄ならば、どこでいつ飲んでも同じ味がした。
ようするに、本来は年によって、米の出来具合によって、気候によって、タンクによって、その他諸々の条件で違ってしまう品質を、均等にする技術を持った酒蔵が、全国区になれていた、ということなのだろう。

今は違う。地方色と手作り感の強かった焼酎に押されていた雌伏期に、日本酒も「個性」の大切さに目覚めた…、かどうか、おいしく飲めればいいだけのわたしの知ったことではない。とにかく、いま日本酒が「個性的で」うまい。

その、個性的でめずらしい日本酒を、リーズナブルな値段で飲ませてくれるのが「手打蕎麦屋」なのだ。頼むから、「酒のない手打蕎麦屋」と「手打蕎麦のない飲み屋」のどちらかを選べ、なんて、悪魔のような質問をしないで欲しい。「酒のある手打蕎麦屋にしてくれるなら魂をあげます」と答えてしまうだろう。

でも、ご主人。この菊姫山廃純米生原酒無濾過の、年子じゃなかった月子(つきご)の姉妹を味わってしまったら、その他のめずらしい日本酒ももうだめだ。物足りない。お願い、今度はこれ、最後に出してね。



豆腐味噌漬け、蕎麦味噌、イカ塩辛、という、「まあ、いいから、今日は飲んでけよ!」と、露骨にいわれているような三種盛り。最高の「あて」だ。おいしかった。
むせるようなナッツの香り。四日目の粗挽き蕎麦は今更いうまでもない。ご馳走さま。今度また、酒飲みの面子をそろえてトコトン飲みに来ますよ。