青空文庫と電子書籍

青空文庫



携帯をスマートフォン=Android端末に換えた…ということは書いた…ような記憶もあるし、ないような気も…。段々いろいろなことの境目がわからなくなってきた。だいじょうぶだよ。まだ現実と空想の境目というわけではない。ブログに書いたのか、メールでシェアしたのか、Twitterに書いたのか、程度の話だ。
バックナンバーをチェックすればいいのだ…と、書いていた。

スマートフォンにして最初にダウンロードしたアプリが「青空文庫Viewer」だ。

青空文庫」は、日本国内において著作権が消滅した作品と著作権者が許諾した作品をメインに収集・公開しているインターネット上の電子図書館だ。
日本国内において著作権が消滅するのは著者の没後50年なので、青空文庫では明治から昭和初期の作品が無料でインターネット上で読めるということだ。

収録されているのは、2010年4月現在で約9000作品。鴎外、漱石、芥川、太宰などの日本文学の名作がテキストファイルで読めるのだ。

といっても、あえて眼が疲れるコンピュータディスプレイで視認性の悪いテキストファイルで読むのはなあ、というのは普通の反応だ。コンピュータ大好きのわたしだって多少の出費は覚悟して文庫を買う。

活字というか文字中毒というかじっと物思いにふけっていることが苦手なので、電車で移動時はいつも本を読んでいる、ということは何度も書いたと思う。
で、スマートフォンで読む青空文庫なのだ。

スマートフォン上では青空文庫はPDF化されていて比較的文字が読みやすい。さらに「しおり」を自動的に置いてくれるのでいつ止めてもまたそこから読み始めることができる。わたしにとっては、あくまでも手持ちの本が切れたときに手の震えを抑えるためには最適の代替ツールなのだ。

とはいっても、読み始めると止まらない。そもそも、もう一度読みたいと思っていた小説なのだ。本棚の奥にあるのは知っている。でも、どんな埃にまみれて黄ばんだ状態なのかは推測できるので怖くて触れない。かといって今更わざわざ買って読むのも悔しい。
そんな本が、実は空想上の未読デスクの上には山積みだったのだ。

それならもっと早くiPhoneにすればよかったじゃないか、と心ない人は思うだろう。それについては…あの端末を日本で発売している会社が「Oh,なんちゃら」なんてソーク雑誌を出版している頃から大嫌いなのだ、なんてことは書かないようにしよう。

で、まともなAndroid端末を待っていたというわけだ。何はともかく青空文庫Viewerをダウンロードしたわけだ。夢野久作ドグラ・マグラ』を読んだわけだ。今は小栗虫太郎黒死館殺人事件』を読んでいるわけだ。次は『人外魔境』や乱歩作品を読んでしまうに違いないわけだ。
そもそも、没後50年たっている作家はこんなにいるのだ。

等々書くと、ただで名作を読みたいだけのさもしい男と思われてしまいそうなのでちょっと自己弁護をする。
移動読書派としては、読みたい本が携帯しやすければいいのだ。必要な対価は払う。
ついでに思う。きっと読みたい新刊本は電子ブック化されるのは遅いんだろうなあ、本当に読みたい本はデジタル化しないんじゃないか、と。

出版社の旧人類たちは、現在の自分たちに都合のよいビジネス形態が壊れるのを怖がっているからだ。だって、自分たちが安住している生活の基盤が足元から壊れてしまうのだ。退職近い超高給取りのおじさんたちは、退職までのあと数年でいいから、現在のビジネスモデルが持ちこたえてくれることだけを考えているからなのだ。自分が退職しちまえば、残された若者が焼け野原に放り出されようが関係ないのだ。だからいたずらにデジタル化を遅らせようと画策するに違いないのだ。

そうそう、「必要な対価は払う」と言ったが、書籍版1,155円・デジタル版1,000円、なんて笑える電子書籍の衝撃的な例もある。ま、所詮、とりあえずいまは、こんな程度の認識なんだろうね。既存の出版社としては。



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