表情は語る(1)プロローグ

牽引身長促進機?!



人は見かけが・・・・・という本が売れているらしい。見かけ上の身体は、その人の心や人格を反映しているのだろうか? ヒューマニズムの立場から言えば否だろう。でも、かのアリストテレスも言っているそうだ。「美貌はいかなる招待状にもまさる推薦状だ」と。

この危険な発言の真意も前後の文脈もわからないが、ここでは、「条件付でYES」だとしておく。
その条件はこうだ。美貌とは静止した断面を切り取ったもの、例えば証明書のような正面像の写真ではなく、連続した表情・身振り・動作を含んでいる、ということだ。

とはいうものの、やはり「イケメン」は、有意に強力な武器らしい。

トロント大学のマイケル・エフランのこんな研究がある。
それは、裁判のとき、被告人の容姿が判決の軽重に影響を及ぼしているのではないか、という疑問からはじまっている。

エフランは最初に、陪審員のとるべき態度として、被告人の態度や性格に影響を受けるか、または被告人の身体的魅力に影響を受けるかの、二点について学生に質問した。
結果は、態度や性格に影響を受けるが79%、身体的魅力が7%だった。

しかし、同じ学生を使っての実験の結果、陪審員は被告人の身体的魅力に影響されるべきでないと表明していたにもかかわらず、実際の結果は逆。被告の身体的魅力は大いに有利に働いていたということだ。
強姦事件の模擬裁判で、被害者が美人の方が不美人のときよりも判決は重いという研究結果も伝えられている。

ここで恐ろしいことは、これら模擬裁判では、容疑者や被害者の「写真」をもとに行われていたということだ。つまり、態度や性格などまったく関係なく、容姿が魅力的かどうかで判断されていた…、ということなのだ。

実際の裁判では、陪審員は被告人の態度や性格にふれる機会が十分ある。結果は違ったものになるだろうか? 何ともいえないと思う。陪審員ひとり一人の「人を見る目」が信用できるほど、あなたは楽天家だろうか?

いずれにしろ、見た目は予想外に大切な判断基準らしい。もっと話を単純にしよう。ただの「身長」にすらこんな統計があるのだ。

米国社会は背丈重視の社会だといわれる。身長が高いだけで有利らしい。
20世紀以降の歴代大統領候補者二人のうち、勝者のほとんどが身長の高い候補者だという統計がある。例外は、ジミー・カーターと対アール・ゴア戦のジョージ・ブッシュII世くらいだろうか。実はあの選挙はゴアが勝っていたという説もあるが、いまさらそんなことを蒸し返してもしかたがないよね。

話を合衆国大統領にまで持っていかなくても、もっとショッキングな統計もある。米のある大学を卒業した学生の初任給の統計を取ってみたところ、なんと、背の高い学生は背の低い学生より12%も高い初任給にありついていたということだ。でもだいじょうぶだよ。米国でのことだ。実にあの国らしい話ではあるが。

いきなり、裁判だとか、大統領選挙だとか大げさな話になってしまったが、普段からわたしたちは、ごく簡単に、見た目だけで人を判断していないだろうか?

ちょいと見た目が魅力的かどうかで判断をくだされているのならば、せいぜい魅力的に装ってみようか。
でも、現実は、写真だけで判断されるわけじゃない。振る舞いも立ち姿も歩き方も評価の対象となる。もちろん、たとえ口からでまかせだとしても会話内容も。

せいぜい、魅力的に見えるように振舞おうじゃないか!ときには心にもないことを言ってみるのもいいだろう。…。
でもね、付け焼刃はだめなのだ。嘘はいつもばればれだからだ。なぜならば、いつも、あなたの心は、あなたの身体に裏切られ続けているからなのだ。

またしばらくこの話を続けてしまおう。眼の話からはじめようか…。