「プロジェクト"X"」始動
食べ物は残したくない。嫌いなものが入っていそうな食べ物を注文するときは、事前にたずねる。出されてしまったら、その瞬間にお断りをして下げてもらう。
一度受け入れてしまったものは残さない。紛れ込んで来た野良犬も残した学食の魚フライでもだ。
飲み物も汁も同じだ。残せない。明らかに塩加減をまちがえただろうと思われるラーメンの汁でも残さない。
残念なことに、これは哲学とか生き方の問題ではない。単なる病気に過ぎないのがくやしい。
唯一、必ず残す物がある。徳利に入れて出される蕎麦汁だ。もり蕎麦には汁はほとんどつけない。後で蕎麦湯で割って飲むにしろ、全部は飲みきれない。
漱石が書くステレオタイプの江戸っ子でもあるまいし、決して粋がっているわけじゃない。塩分を控えろ、と医者にいわれているからでもない。塩分なんて気にしていなかった子供のときからの習慣だ。だから、死に際に
「一度でいいから、たっぷり汁つけて蕎麦を喰いたかった」
とは言わないだろう。
粋を気取ったり薀蓄を垂れるためではない。そもそも、たっぷり汁をつけるともり蕎麦はうまくない。啜れないしね。揚げ玉入れて油で薄めた汁にどっぷりつけて、ぐちゃぐちゃ噛みたい人は×△んを食べればいいんじゃない?20回以上噛む主義の人には五穀米をお勧めする。
だから汁はちょっとでいい。でも、きっと末期にこう言う。
「もっといろんな種物蕎麦、食べときゃよかった」
蕎麦自体が好きだから、なかなか種物に行き着かないのだ。それでなくとも、"もり"だけでも、蕎麦粉の割合違い、つなぎの違い、産地の違い、挽き方の違い、熟成度の違い、等々だ。とても一人では食べきれない。でも全種類を食べ較べて「利き蕎麦」してみたい、という野望はいつもくすぶっている。
仕方がないので、一種類、せいぜい二種類に絞ることになる。そして、食べながらいつも、情けない後悔をしているのだ。あっちにすれば良かったか…。と。
だから、逝っちまうときにきっと言っちまうのだ。
- もっと吟醸酒を飲んでおけばよかった。
(ジョン・メイナード・ケインズもどき) - 拍手を。売り切れじまいだ。
(アウグスティヌスもどき) - 店を開けてくれ。種物を……、もっと種物を……。
(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテもどき)
そう、きっと、「もっと種物が食べたかった」と無様な一言を発してしまうのだろう。
でも、だいじょうぶだよ。同じような悩みというか、欲望を持つ蕎麦好きは多く、そのために「プロジェクトX」が結成されたのだ。
その「プロジェクトばってん」とは…。