鸚鵡のオヤジと植物の若者

ボギー俺も男だ もう一度弾いてくれ、



週末、夜、友人から突然メールをもらった。勤めをやめて帰郷する。それまでに一杯やろう、と。7月の半ばには郷里に帰ってしまう、とのことだった。

「それまでに一杯やろう…」だって…。?。リックやボギーじゃないが、そんな先のことはわからない。そもそも、遠い未来の「飲み」の約束をした瞬間、それまで会えないことが決まってしまうなんて、待ち遠しいじゃないか。とりあえず、今日会って飲んで、それから次の約束をすればいい。

明日でもいい仕事は「明日以降」にやる。が、飲みの話は別だ。7月の半ばまで待つ必要なんてまったくない。
「では来週末でもどうですか?それとも明日でも良いですよ。土曜日だけど出社するつもりだから…」

で、翌朝、返事が来ていた。うれしいじゃないか。「じゃあ、今日」なんて返事が来るなんて。人生、すべて、そうありたいものだ。
座右の銘は、一番好きな言葉は、もっとも聞きたい言葉は「じゃあ、今日、飲みましょう」なのだ。

というわけで、ひさしぶりの、神田で蕎麦と酒。といえば『眠庵』だ。

土曜日だ。混んでいる。若者も多い。わたしは若いときから「おやじガキ」だったから、蕎麦屋酒をしていた。粋がって女ともだちを蕎麦屋に連れていったりしていた。でも、最近は男の子同士で蕎麦屋酒なんかするんだね。居酒屋か焼鳥屋のカウンターの方が、安くて腹もふくれていんじゃないかと思う、のだ、が…。

で、そんなところ、夜の蕎麦屋には、ひとりっきりで酔ったオヤジが付き物だ。最近頻繁に目にする。鸚鵡のように、同じなけなしの薀蓄を何度も語っている。「もう一度弾いてくれ、サム」とは決して言われない。
最後にオーダーしたものの、もう飲みたくなくなった気の抜けたビール瓶を持って、嫌がられながらも、ちょっとだけ注いで歩きながら、あっちこっち渡り歩いて絡んでいるオヤジだ。たいてい「もう帰る」といいながら小一時間は居る。

たいてい言う。「若くていいなあ」「わたしの若いときは」「最近の若者に言いたい」…。家に帰って自分家の若者に言いなよ!

若くして蕎麦屋酒にくるような若者だ。ほとんどは、植物的で人畜無害。二酸化炭素を吸って酸素にしてくれる。気が良い。特に嫌がる風でもなく、適当にオヤジをあしらいながら、連れと友好を深めている。(そんなオヤジも肴のひとつじゃないの?)深酔いすることもなさそうだ。

・・・・。と、ここまで読んだあなたは「そのオヤジって、おまえのこと?だろう!」と思っているのだろうか?
いや、断じて違う。わたしはそんなオヤジのつもりはない。そりゅあ、ときには、薀蓄をたれるときもある。近くにいる若者に絡むときもある。帰るといってから、小一時間もうろうろねばっているときも、あることはある…。

だいじょうぶだよ。そうならないように、一生懸命、気をつけているのだ。でも、もし、わたしがそんなオヤジ的振る舞いをしていたら、ぜひその場で注意してほしい。そのときは聞く耳を持たないだろうが…。ま・ち・が・い・な・く。