コロンビアで味わった「ドーハの悲劇」

Hosanm2007-06-06



昨日の「代表」(「セレソン」だとか「セレクション」だとか、「代表」とか「ワールド」といえばサッカーの話だよ。それ以外はない)戦の相手はコロンビアだった。日本コロンビア戦が見られるなんて、めったにないので、楽しみにしていた。オシムサッカーはあまりおもしろくないのでどうでもいい。でもひさしぶりのコロンビア代表を見てみたい。最近はまた良くなってきたらしいじゃないか。

ま、そんな日はそんなもんだよ。つらつら考えてみても、数えるほどしかないような、日本コロンビア戦以上のプライオリティが発生してしまった。

見られなかった。

本来ならば、事前に身を清め、伽羅を炊き込めた白いパンツを身に着けて、友人のコロンビア人たちと一緒にTV観戦するはずだった。ゲーム自体は日本のホームだが、わたしはといえば完全ひとりアウェイ状態のはずだった。

今日は行けないとFリッチョに電話。
「おまえ、やっぱり恐がっているんだろう!俺たちと一緒に飲んでてボロ負けしたら恥ずかしいもんな…。まあ、今日は許してやるよ。今度、奢れよ!」 奴が「うえぼん」の手つきをして、得意げに話しているのが目に浮かぶ。「黙れよ、Fリッチョ!こまみえるだ」だ。

コロンビア・ボゴタ市に滞在しているときのことだ。ワールドカップ米大会への最終戦だが、仕事は休めない。試合はどうなるんだろう…と朝から悶々としていた。

「おおッ、Hosanm、残念だったな」と、突然、仕事部屋に乱入してきたのが「雄牛Fリッチョ」だった。

その日は仕事が忙しく、どうせ見られないしとの諦めもあり、ワールドカップ予選のことはすっかり忘れて、仕事に集中していた。とまどうわたしにお構いなく、彼はわたしの肩をつかみ、椅子から引きずり上げ、身体が浮くほどのハグをした。「かわいそうに、残念だったな。あそこまで行ったのに、最期のロスタイムじゃなあア…」なぐさめるように肩をドンドン叩く。見ると涙ぐんでいる。感情表現が豊かなラテンアメリカ人なのだ。
いわゆる「ドーハの悲劇」のときだった。

「日本はここまで良くやったよ。また4年後を目指せ!」
お前の国は出場を決めてるからそんな気楽なこというんだろう…。
「おまえ…なあ…、いつも勝てるわけじゃないだろう?ここまで出来たことを誇りに思え!」

そうだよな。彼らは永い年月をかけてここまでになったんだ。ごめん。新参者の日本と違い、お前たちは、4年おきにこんな悲嘆を味わってきたのだろう。
私よりも一回りもガキのくせに、しゃらくさいぞFリッチョ。
きっと、彼は、こう、言って、いた。「だいじょうぶだよ。4年後があるよ」と。

それ以来、ずっと、いまでも、Fリッチョはわたしの最大の友人のひとりでいる。MLR嬢とならんで、わたしのコロンビア滞在をサポートしてくれたひとりでもある。

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ところで、このブログを書きはじめてから、すでに100日目が過ぎていた。ほとんで毎日書いていた。
けっこうメールでお便りをもらう。好き勝手なことを書いているだけなのに…。あらためて言わせて欲しい。
「読んでくれてありがとう」と。