二月の「一から出直しやで」プロジェクト

デジカメ、クリームスープ仕立ての末路



一月が簡単に終わってしまった。反省材料満載の月だった。なぜならば、「充実した人生が送れていなかったかもしれない」という強迫観念に襲われているからだ。

ここで柄にもなく形而上的な問いかけをしてしまう。「充実した人生とは何ぞや」と。「〜って何やねん」でもいい。
金銭、名声、栄光、家庭、放蕩の果て…。いろいろあるね。ようするに、人それぞれで模範解答はない。
「自己満足したかどうかだ」という醒めた意見に集約されてしまいそうだ。

「それぞれの人が思う"幸せ"が満たされているかどうかだ」ということなのだろうか? それならば、自信を持っていえる。「2009年一月の人生は充実していなかった」と。"蕎麦度"が低かったからだ。

一月の蕎麦ライフは、正月明けの喜多見『志美津や』から始まり、30日の秦野『くりはら』で終わった。
途中、かろうじて行けたのは、宇奈根『山中』、下北沢『くりはら』、横浜センター南『庄栄』、代田橋『まるやま』、吉祥寺『中清』、永福町『黒森庵』、幡ヶ谷『ふじ多』、だけなのだ。ま、九店ともすべて満足して帰ってきたのは良しとして、いかんせんというか、蕎麦屋通いの絶対量が少なく、これではいかんのだ。

うまそうな所をそれだけ行きゃあ充分だろうこのヤロウ、という意見を無視して敗因を分析してみると、新年三が日があったり、休日に他の行事があったり、雨が降ったり、いろいろだ。
ま、正月はしょうがないとして、その他の行事なんてすっ飛ばして行っちまえよとか、雨が降っても濡れて行けばいいじゃないかとか、反省点は多々ある。

でもだいじょうぶだよ。人生「七転び六起き」というじゃないか。六回まで転んでも起き上がってやり直せるのだ。まだ五回しか転んでいない。あと一回しかないじゃないかという言い方もできる。まだ一回あるとも言える。微妙な回数だ。

二月はがんばろうと思う。で、あらためて初心に戻って「一から出直しやで」プロジェクトが始動。というわけで、二月の"一から出直しプロジェクト"は、一月と同じ、喜多見『志美津や』から始まったのだ。

大荒れの後の晴天。二月初日を華々しく飾ろうと『志美津や』に牡蠣三昧に行った。牡蠣の天婦羅で軽く一杯。あわよくば、おばあちゃん特製のおしんこでもう一杯やって、牡蠣せいろを食べてから、牡蠣南蛮で〆るという黄金のトライアングルコースだ。
が、すでに初日にして挫折。"あわよくば"のおしんこの量が多くて牡蠣南蛮に至らず挫折。二昧になってしまったのだ。

おなじみの牡蠣天はもちろん、胡瓜抜きのおしんこがおいしい。酒のつまみにぴったりだ。
それに、今日の主役「牡蠣せいろ」が最高。丹精に切られた香り高い十割蕎麦。牡蠣とネギがたっぷり入った濃厚な汁。牡蠣もほどよく火が通ってぷりぷりだ。引っ張り出して見せてやりたい。

と、本来ならば、牡蠣を箸でつまんで写真を撮るのだが、わたしは一度懲りているのでやらない。

クリームスープのつけ蕎麦がある。その日は特別に牡蠣が入っていた。沈んでいてそのままでは見えない。写真を撮ってやる。箸で牡蠣をつまみ出す。カメラを左手でかまえる。熱いクリームスープだ。レンズが曇る。曇りをとるためカメラを振ってみる。(ヲイヲイ)。振っても曇りはとれない。カメラがスープの中に落ちる。(そりゃあそうだろう慣れない左手だ)。ぼちゃりと。どっぷりと。しかもドロドロだ。とりあえず引き上げ拭く。


(c) tom

牡蠣入りのクリームスープはカメラの味がした。
で、クリームスープに落ちたカメラがどうなるかというと…。

というわけで、今回はつけ汁の牡蠣を引っ張り出して写真は撮らなかったので、カメラは落ちていない。余計なカメラ味がついていなくて、ナチュラルでおいしかったのだ。

ところでというか、やっぱりというか、そう。蕎麦には日本酒だ。今日の酒は『帰山 参番』の純米吟醸。日本酒度「-14.0」のおきて破りの重量級。酸度も「2.8」。触れ込み通りこれはワインだ。しかも貴腐ワインの風味じゃないか。好みだ。癖になっちまう。

癖になっちまう…。だからどうだ、という話はまたいつか。



hosanm@gmail.com