「独立起業」は何のため?

なぜかこれがベンチャービジネスの象徴



毎回、読むのを楽しみにしている大好きなブログがある…。

起業家、ベンチャービジネス、一攫千金、会社を売って悠々自適、酒池肉林(これは違うか)等々、独立起業への誘惑は多いらしい。狭いわたしの周囲でもSOHOで独立した人が、一、二、三、四、五、たくさん、程度はいる。

そんなに「独立起業」はおいしいのだろうか?と常々考えていたところ、『起業家支援の甘い誘惑に踊らされるな』と題する、こんなブログ記事に出会った。

(前略)
独立・起業を考えるとき、その目的として次のようなことを、自発的に考えるか、または周囲にそのようなことを考えるように吹き込まれるものと思います。

  • 仕事そのものの楽しさを追求するため
  • 自力で食っていくという充実感を得るため
  • 自分流の仕事がどこまで通用するか試すため
  • 経営者としてのリーダーシップや舵取りに魅力を感じて
  • 後進の育成やマネジメントに魅力を感じて
  • より多くの金を稼ぐことに魅力を感じて
  • より大きな社会的責任を果たすことに魅力を感じて

なりゆきで独立起業した「彼」はその時点では起業家としては成功できなかった。そして、事業を縮小した今、「彼」は言う

とはいえこれは結果的には大成功で・・(中略)・・自分一人の食い扶持を賄う程度なら、月に6〜7日も働けば余りある・・(中略)・・今は悠々と、自由な暮らしを満喫しています。もう二度と、会社の運転資金や従業員に支払う給料をどう工面するか、などということで精神や胃を痛めながら奴隷のように働く生活には戻りたくない・・・・
そして、僕が現在、過去の失敗を経てたどり着いた「独立・起業の目的」というのは、次のようなものになっています。・・(中略)・・僕が独立・起業を通じて実現したかったことと言うのは、まさに次の三点なのであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

それは、こういうことだ。

  • 自由に使える時間が欲しい
  • 世間の誰かしらに、何かしらのことで認められたい
  • 自由なライフスタイルを体現したい

なあんだ、それが目的ならば、特に「独立起業」などする必要はなかったじゃないか!?
さらに続けて、

これらは現在の僕がほぼ実現していることで、それを実現できているということについて、僕は自分自身を誇らしく思います。その反面、これほどまでにシンプルな目的であるにもかかわらず、それを導き出すために大きな失敗を経験する必要があった僕という存在には、ほとほと呆れます。

さらに続けて、このブログの主、住太陽氏は警鐘を鳴らす。

独立志望者や新米起業家の方には、「社会の奴隷のような社長生活は、あなたにとっての理想の生活と完全に一致しているか?」という点について問いかけ、一考を促したいと思います。・・(中略)・・中には、類い希な努力と才能によって、将来に大きな社会貢献を果たせるような立派な社長もいるかもしれません。しかしそれは、世間にあまた溢れる凡百の起業家からすれば、絶対少数に過ぎないことにも注意を払うべきです。・・(中略)・・自分のやりたいこととしていることは一致しているか、などということを今一度、考えなおしてみるのも悪くないかもしれません。
(後略)

ご本人は覚えていないだろうが、住氏とは2度お目にかかった。
最初は、著作の日本最初のSEO本を読んで感銘をうけ、どこかで一緒に仕事ができないかと考えたときだ。その後、あるWEBサイトのアドバイザーを務めたときに、実際のSEO面でのコンサルをしていただけないかと思ったのが二回目だった。が、まもなくわたしはそのWEBサイトから手を引き、この話は自然消滅した。
やがてWEB業界で「SEO検索エンジン対策)」がはやり言葉になり、脚光を浴びた住氏も遠くへ行ってしまった。
その後も、住氏の開設するWEBサイトや発言には注意を払い続け、いろいろ刺激を受けながら、現在に至る。…というわけだ。

住氏のこの一文を読んでいて「メキシコ人の漁師」の話をふと思い出してしまった。

独立起業かあ…?甘いささやきなんだろうな。が、知人に相談めいたことをされて、わたしは賛成したことがない。
「仕事そのものの楽しさを追求」や「自分流の仕事がどこまで通用するか試す」ことは、企業集団の中に身を置いていても、それなりに実現できないわけじゃない。逆に、多少なりとも集団の力の後ろ盾があった方が実現しやすいこともある。
・・・・・あれ、おかしいな?何らかの組織に属していることを肯定している自分がいる…。ま、現在、居心地のいい集団に属しているからだろう、ということで良しとしよう。

そもそも、一人で活動することが苦ではないし、「リーダーシップや舵取り」とか「後進の育成やマネジメント」に、まったく魅力を感じないわたしには、「起業」なんて無縁の発想にすぎない。企業に属していれば、多かれ少なかれ、リーダシップやマネジメントを避けては通れないのは承知している。
でも、経営者でなければ「会社の運転資金や従業員に支払う給料をどう工面するか」という不毛な(少なくともわたしにとって)ことで頭を悩ませる必要がないのは間違いないことだ。

住氏にはぜひ、今後とも、自分に無理のない形でがんばっていただきたいと思う。言動に注目し続けるということで、ささやかながらエールを送ることにする。