300通のスパムメールに耐えても…

これが音響カプラだ



日本に帰ってからインターネットを始めた。そろそろ12年になるだろうか。「ネット」に触れたのは10数年ぶりだった。通信黎明期に「The Source」とか「CompuServe」なんてのをやっていた。いわゆるパソコン通信というやつだ。国際電話料金が10万円を超えてあせったこともある。

「モデム」ですらない。「音響カプラ」という名の、電話の受話器を上下逆にしてはめ込むというやつで、300bps(!)の通信速度だった。受話器が洒落た四角い形をしていると、カプラの受け口との間に隙間ができ、周囲の音が混ざって使い物にならなかった。
もちろん1バイト文字専門で、米国の好き者たちと、一本指タイプ程度のスピードで情報のやりとりをしていた。

だから、10数年ぶりに触るキーボードでも、インターネットというやつに、まったく違和感も感動もなかった。「へえッ、絵が使えるパソコン通信なんだね」程度で、国際電話料金がいらないのと、通信速度が速くなっているだけだ。

しかし、ネット全体をおおう「空気」にはまった。昔のインターネットを代表するキーワードがいくつかある。自由とか無料とかシェアとかボランタリーとかの楽観的な単語だ。インターネットそのものは、「人の善意」で運用されていたのだ。

そう。インターネットは、「性善説」に基づいて構築された世界だったのだ。

いまや自殺行為ともいわれる、ある程度までの個人情報やメインのメールアドレスをネット上でさらすことはあたりまえだった。自分を特定される情報を日常茶飯事に垂れ流していた。むしろ積極的に、方々でメールアドレスを書き込んできた。

牧歌的な時代だった。信じていたんだよ。人の人としての善意を…。(おまえはいつもあまい!)

で、メールアドレスに限っていえば、いまどうなっているかというと。そのままにしておくと、1日300〜500通のメールがくる。10通中9通以上がスパムメールだ。大切なメールがスパムに埋もれてしまう。
サーバー上で迷惑メールフィルターをかけるのはあたりまえ、それでもすり抜けてくるスパムはメールソフトの設定などで、極力、排除している。

メールアドレスと個人情報のかけらをさらしたために、こんな困った事態になってしまっている。でも、実は、後悔はしていないのだ。おかげで、音信不通だった知人から突然のメールをもらうことが、幾度かあったからだ。

「Hi,Hosanm,わっちゃーぁどぅーいん!どぅーゆーりめんばみい?」
「Hosanm!コモエスタス」
「公開されているプロフィールと、そのメールアドレスからすると、Hosanmさんじゃないですか?なつかしいです。もしそうなら、お暇なときにメールをいただければうれしいです」
「お久しぶりです。お元気そうでなによりです」

うれしいじゃないか。いままで4人に「探された」。彼らとは、それ以来ずっと、連絡を絶やしていない。今後も絶やすことはないだろう。
もう、それだけでだいじょうぶだよ、と、毎日のスパム300通が許せるような気がしてしまうのは、おおあまだからだろうか…?

で、先週のこと、久しぶりに「Hosanmだよね?」メールが送られてきた。その内容は、こうだった。…。