花の香りに… 人の行動はパターン化してしまう
花の香りが心地よい。いい季節になった。しかも連休だ。人として、そんなことをしている場合じゃないのは重々承知しているが、仕事をしている。唯一のなぐさめは、オフィスとの往復のポタリングだ。大気に溶け込んだ花の香りにつつまれているのが心地よい。自動車が少ないと、都会もこんなに安らかなんだな。風ににおいがが運ばれてくる。・・・・・・
と書き始めると、昨日と同じになってしまう。「風の音」を「花の香り」に換え、その他いくつかの単語と言い回しを書き換えるだけで、一日分の記事ができてしまう。
ほとんど毎日はルーチンの連続だよね。実は、毎日、同じような日々を送っているのだ。
昨日と今日の自分の行動を思い浮かべてみよう。
- 連休なのに時間制限があるタスクのため出社
- 自転車で通勤をする
- 天気は上々
- ポタリングを楽しみながら往復する
(昨日は風の音、今日は花の香り) - 帰宅途中でお気に入りの蕎麦屋で夕食(いつものことだ)
- つまみも蕎麦もおいしかった(やっぱり、最後は蕎麦かよ)
- 等々
「ユニーク」であれと念じながらも、残念ながら、人間のやることはパターン化してしまうと思う。
ポタリングにルールを持っている、という話を以前した。「できるだけ知らない道を通る」ため、「交差点では意識的に、まだ曲がったことのない方角に向かう」ということだ。
にもかかわらず、不思議なことに、ふと気が付くと同じ道や交差点にたどり着いてしまっているのだ。なぜなのだろうか?
- わたしの思考が硬く、パターン化しているため、無意識的に予定調和を求めてしまっている。
- だいじょうぶだよ、個人の思考パターンの問題ではなく、そもそも人ってこんな程度のもの。言っている理想論と実際の行動は別物で、変化や変革を求めない生き物に違いない。
- 道路と交差点の数には限りがある。
- 近隣のすべての「道」を極めてしまった。
いろいろ考えられるが…眠い…今日はここまでにして…続きは明日にして…目がさめたら加筆修正することにしよう…とりあえずここまでの最低限のゴールはいったことだし…明日は休むつもりなので、ひさしぶりに時間はたっぷりあるはず…だてんせんんんんん