メキシコ人の漁師 ラテンの血に目覚めるとき…?

Hosanm2007-04-10



「メキシコ人の漁師」という有名な話だ。

メキシコのある小さな漁港に、一艘の舟がつながれていた。
アメリカ人の旅行者が舟の中をのぞき込んで、漁師に話しかけた。
「立派な魚だね。
これを獲るのにどのくらい時間がかかったんだい?」
「いくらもかからなかったさ」
とメキシコ人の漁師は答えた。

「それなら、もっと時間をかけて、たくさん獲ったらどうなんだい?」
アメリカ人。
「これだけで、自分や家族が食べる分には充分なんだ」
「だけど、時間があまっちゃうだろう?
残った時間をどうやって過ごしてるんだい?」
「ゆっくり起きて、日中は釣りをしたり、子供と遊ぶよ。
それから女房とシエスタをするんだ。
夕方になったら、村に行って友だちに会って、一杯やる。
あとはギターを弾いて、歌をうたって楽しむんだ。
毎日が楽しいよ」

「ふう〜ん。それは楽しそうでうらやましいね。
でも僕はハーバードでMBAを取っているから、君の役にたつアドバイスをしてあげられると思うよ」
アメリカ人はうれしそうに話を続ける。

「いいかい、もっと長い時間、漁をしよう。
そして、余計に獲れた分はマーケットで売る。
その分の収入で、もっと大きい船を買って、大きい船でもっと採った魚を売って、もっと船を買って、もっと採って、大船団にするんだ。
そこまでいったら、獲れた魚はマーケットでそのまま売ったりしない。
自分の工場で加工して、輸出するんだ。
最初はメキシコシティからでいいかな。
ロサンゼルスから、ニューヨークに進出していこう。
そうなったらマンハッタンに事務所を持つ君は一流の実業家だ」

「そうなるのに、どれくらい時間がかかるのかね?」
とメキシコ人が尋ねた。
「20年、おそらく25年かな?」
「で、その後はどうするのかね?」

「その後だって?これから面白くなるんだよ」
と答えて、アメリカ人は楽しそうに笑った。
「今度は君の会社の株を売れば、一夜にして億万長者さ」<

「それで?」「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住むんだ。
ゆっくり起きて、日中は釣りをしたり、子供と遊んだりして、女房とシエスタをするんだ。
夕方になったら、村に行って友だちに会って、一杯やる。
あとはギターを弾いて、歌をうたって楽しむんだ。
毎日が楽しいよ」

最初に読んだとき、けっこう考えさせられた話だ。と同時に、こころもちが落ち着かなかった。

どちらの道を通っても、最後は海辺でシエスタして一杯やるならば(そこがこだわりどころか?この話の骨子は違うだろう…)、どちらの道がいいのだろう?
昔々の、ゲルマン系だったころのわたしならば、まちがいなくMBA氏だ。自分でいうのも変だがけっこう勤勉だったと思う。ただし、飽きっぽかった。いまでもだが…。

大学に何年もだらだら行っていたとき、呑みともだち兼のゼミの教授に言われた。「この際、大学院に行って、学者になるか?」と。そして即座に、自分が、酔って不用意に口走ってしまったことに動揺し、打ち消すように、「でもなあ…、きみも少しは勤勉なところもあるけど、気が多すぎる。楽しいことが多すぎる。ずっとひとつの事を、苦しみながら続けていられないよな。ちょっと難しいなア。あッ、でもきみはだいじょうぶだよ」と、唐突に付け加えた。

社会に出て、最初に入った会社の社長にも言われた。「きみは一流になれないな!でも、何をやっても一流半にはなれてしまう。がんばりなさい」
わたしはニヒルな横顔を見せながら、左側だけにふッと苦笑をうかべ「かいかぶりですよ、社長。お得意の褒め殺しですか?」・・・・・。(また妄想の世界に入っている…)

で、かってはゲルマン系日本人だったわたしは、8年のコロンビア経験を経て、すっかり変節し、隠し持った(?)ラテンの血に目覚めてしまった。ますます、刹那的かつ享楽的になってしまったのだ。S教授はただの酔っぱらいではなかった。さすがに慧眼だった。

また、話がそれてしまった。
「メキシコ人の漁師」の話を読んだときに、こころもちが落ち着かなかったのは、自分はこの漁師にもなれないんだな、と直感したからだ。どんな道でもいい。ひとつのことを突き詰められる人は、いつもすごいと思っている。

たとえそれが、ゆっくり起きて、日中は釣りをして、子供と遊んで、女房とシエスタをして、夜は友だちに会って、一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたう楽しい毎日だとしても…。だ。