あきらめの悪いやつ 菊姫とレコード

Hosanm2007-04-26



あきらめの悪いやつっているものだ。済んだことをああだこうだとか。あの時こうしておけばとか。一度あきらめたのに隙あらばとか…。男女関係でもだ。
ここにもいる。わたしがそうだ。

あとくされなく、きれいさっぱり別れたはずの「あの娘」が、すでに手が届かない場所に去って行ってしまったはずの「菊姫」ちゃんが、「あと3本ある」と聞くと、前後のみさかいなく会いにいってしまうのだ。(どこが男女関係なのか…?)

で、また会いにいってしまった。『黒森庵』に。今度こそきっちり別れを告げるため。堪能しました。いいなあ、この甘酸っぱさ。この若さ。しかも濃厚。…なんだか、Hなオヤジみたいなのでこれでやめておく。

一度はあきらめたはずなのに、まだあきらめきれず、いつかまたやってやる、と思っていることがある。いい音でレコードを聴くことだ。

CDは確かに便利だ。裏返さないで!連続して74分聴ける。フルトヴェングラー指揮のバイロイトでの第九ライブを途切れることなく聴くことができる。嘘か本当か諸説あるが、CDの規格を決めるときの決定打になったといわれているあの名演奏だ。

ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9/第2世代復刻]

ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9/第2世代復刻]

レコードからCDに乗り換えたきっかけは、「フルベンのバイロイト盤を通して聴きたい」という思いだった。
レコードでは2枚組、しかも、ゆったりしたテンポで演奏されるあの天国的な第3楽章に酔いしれたすぐ後でレコード盤を交換する、という苦難を経なければならなかったのだ(ま、それもベトベンの第九らしくていいんじゃない?)。それでも擦り切れるほど聴いた。

レコードは不便だった。収録時間が短い、傷がつきやすい、内周にいくにしたがって音が悪くなる、リモコンがない、等々。にもかかわらず、そもそもデジタルメディアにはもえない。
所有しないという選択」をしたいまとなっては、デジタルメディアの音を聴くのならば、iPodで十分なような気もするのだ。どうせ、どうころんでも、上下をカットされているのだから、むきにならなくてもだいじょうぶだよ、と思いながら。

レコードにこだわっている古くからのオーディオマニアがいるが、その気持ちは良くわかる。すでに「マニア」をやめて久しい、現在のわたしのオーディオ装置でさえ、レコードの音は存在感がある。装置をアップすればするほど音が良くなっていくような予感をさせてくれる。

いまだに「アビイ・ロードのB面が…」などと口走って、??顔をされることがあるのだ。ようするに、まだ、あきらめきれていないのだろう。いつかまた…。と。